神田松之丞「講談漫遊記 vol.2 堀部安兵衛特集」
実に5ヶ月ぶりの神田松之丞独演会であった。
演目はネタ出しされており
・安兵衛駆けつけ
・安兵衛婿入り
・荒川十太夫
の3本であった。
以前見た安兵衛駆けつけ・婿入りは2つで1つのネタになっていて、それをどんな風に2つに分けるのかなと思ったら駆けつけに関して言えば助長的でこれで1ネタにするのは少し弱くないかなと思った。
ちゃんばらモノで言えば山田真龍軒の方が圧倒的に面白いし、違袖の音吉も面白い。
それらと比較するといまいち迫力にかけていたように思えた。
元々の講談の台本がそうなのかもしれなが、あまり面白くないなと思った。
テレビ等のメディア露出が増え恐らく新規の客も多数いたであろう今回の独演会の開口一番、どれだけの人の心を掴めたのだろうか。
本当に納得してこのネタをかけたのか疑問をいだいてしまった。
2ネタ目の安兵衛婿入りは前半は駆けつけのエピソードを講釈師風に話すくだりが面白く、後半は安兵衛が酒を飲み過ぎて失敗してしまうが殿の厚意で許され忠義を尽くすことを誓う話となっていて、衝撃は強くないが良い話だなと思う。
3ネタ目の荒川十太夫。
この話は僕が初めて神田松之丞をみたときのネタだ。
みたと言っても生でみたわけではなく、神田松之丞が面白いらしいとの噂を聞き調べたところ当時渋谷らくごのアーカイブ動画が配信されていてそれを視聴した。
今は配信されていないが、しぶらく名演集の荒川十太夫の動画版である。
衝撃をうけた。まず誰がきいても爆笑するんじゃないかというクリアファイルまくらから始まり、急ハンドルで赤穂義士伝に入るための真面目なまくらに移る。
当時の僕は忠臣蔵がどういう話なのか全く知らない状態できいた。
忠臣蔵は別れがテーマなのだという。人はいずれ死ぬ。この会場に集まっている人はもう二度と合わない可能性だってある。日々別れを繰り返している。
だから忠臣蔵は数百年経ったあとの現代人にも響くのだと。
そこからの本編の荒川十太夫である。
僕の貧相なボキャブラリでは見事と形容することしかできない、とてつもない衝撃を受けた。
特に印象的なシーンは殿に表を上げいと言われた時の罪をおかしているという罪悪感から声だけハッと発するが顔をあげることはできない。
このような行動をする人がなぜお上に反抗するような事をしてしまったのか、ここからの独白に思わず涙がこぼれた。
荒川十太夫というネタは僕にとって、神田松之丞最初の衝撃であり見事に心を鷲掴みにされた最高の出会いであった。
だからこそ、今回ネタ出しをして全国周っているのだからよっぽどの工夫をこらした荒川十太夫をきけるのではないかと期待していた。
しかしながら、その期待を超えることはなかった。
演出はほぼ同じ。少し説明が多くなっていたような気もした。
完成度で言えば音源の方が圧倒的に良いのではないだろうか。
でも、どうやらそれは僕の主観らしい。
Twitterで他の人達の感想を見ているとCDできくよりも圧倒的に面白いという意見が多数あった。
たしかに生のほうが迫力もあるし集中もできるから面白い確率は高い。
それでも今回の荒川十太夫は音源に負けていたと思う。
言い方を変えれば音源の荒川十太夫が出来すぎているのかもしれない。
そしてもう1つ、今回の荒川十太夫を楽しめなかったことで、僕がどういう風に講談をみているのかが分かったような気がした。
一般的に講談や落語のような寄席演芸は繰り返し同じネタをかけることもよくあるので、その差異を楽しむという側面が含まれている。
しかし、僕はどうやらそれを楽しむことはできないことがわかった。
あんなに衝撃を受けた荒川十太夫であっても二度目であると、楽しめなくなっていた。
それが音源に身体性も生の臨場感も追加された状態であってもである。
つまりは僕が受けた衝撃というのは講談という演芸にではなく荒川十太夫という話のストーリーと神田松之丞の熱演であったのだろうと思える。
今回もたしかに熱演ではあったと思うが荒川十太夫はストーリーできかせる話だから熱演だけでは大した衝撃になることはない。ストーリーはもう知っているのだ。
寄席演芸の特性上同じネタを何度もきくことも多分にあると思われるが、これだけコンテンツの溢れた現代で同じネタを何度も繰り返しきいて楽しめる人がどれだけいるのだろうか。
僕は本気で神田松之丞を盲信し講談が明治以来の隆盛を極めると思っていたが、難しいのでは無いかと思ってしまった。
寄席演芸を見始めて1年そこそこのただの客が今回の独演会を楽しめなくて
モヤモヤしていたから原因を考えて吐き出した駄文でした。
淀五郎はまだきいた事がないので愛知県でやってほしいです。