国が変わると生活の何が変わるのか
出張で中国は天津に来てから早3週間。
日本にいたって基本的には部屋の中で過ごしている自分としては住む場所が変わったって、それが例えば海外だったとしてもそんなに違いはないと思っていた。
しかし、天津に来てからなんだか暇だなと思う機会が増えているような気がする。
日本での生活を振り返ってみると、平日は仕事から帰ってきたら飯食いながらテレビを適当に流して11時ぐらいになったら睡眠というような感じだっただろうか。
日本にいた時はテレビ自体は嫌いではなかったものの、「無くてもいいもの」ぐらいに思っていたけど実は「無くてはならないもの」だったのかもしれない。
ちなみに宿泊先のホテルのテレビは日本の番組だとNHKのみ映る。
こっちでの平日の夜は同行している上司と外でご飯を食べて帰ってきたら、風呂入ってスマートフォンポチポチしていつの間にか寝ているというような感じだろうか。
そのおかげか寝る時間はかなり早くなって何も無い日はだいたい22時ぐらいには寝ている。
平日の夜はまだ良い。問題は休日だ。
日本での休日の過ごし方で思い出せるのは映画館での映画鑑賞と落語会だろうか。
映画に関しては、こちらでも観ることは出来るかもしれない。
日本語の作品は限りなく少ないだろうが、万引家族が現在放映中である事は確認できたので観に行こうかと思っている。
問題は落語会ないし講談会である。
日本にいた頃は週1とまではいかないまでも2週間に1回は間違いなく行っていたと思う。
つまんねえなあと思うこともあったけれど、なんだかんだ好きな趣味であることは間違いなかった。
いつだったか神田松之丞の独演会後、もはや「生きる希望」だみたいなことをつぶやいたような気もする。
音源を聴けばいいだろと思うがやはり生とは別物で面白いのは面白いんだけど、やはり満たされるものではない。
これに勝るとも劣らない趣味を中国で見つけたいところだが難しいんだろうなと思う。
言葉の壁は仕事だけでは無く趣味の面でも大きく立ちはだかるなと実感している。
文化的な趣味が多かった自分には中国の映画や漫才みたいな伝統芸能があることに興奮して観てみたいと思いながらも言葉が分からないのでは話にならない。誠に残念である。
受け身の趣味はとても難しそうなので、それでは何か実践してみようかなと思いだしている。
講談を一席覚える所から始めてみようか。
実際のところ中国での休日に何をしているのかと言うと、何を勘違いしたのか日本では自主的には行ったことのなかったキャバクラみたいな所に行ってしまっている。
3週間で3回だから中々の頻度ではないかなと思っている。
値段も500~600元と決して安くないのに。
異国に来るというのは恐ろしいモノで開放的になるというか、なんというか恥ずかしい思いでいっぱいだ。
まあこれもそんなに悪いものではなくて日本語が喋られる女の子と会話しながら少し中国語の勉強にもなり、語学学習のモチベーション向上にならなくも無い。
とはいえ人とのコミュニケーションが苦手なので、これすらも面倒になって来ている自分もいる。相手の女の子次第かもしれないが。
旅行したらどうだと思うも、天津は観光地が絶望的に無い上に、旅行エッセイなどで楽しそうな文を読むと行きたくなるのに実際行ってみると、あまり楽しめないという事が経験上多々有り二の足を踏んでしまっているのが現状だ。
こんなことを考えながら休みになれば女の子に会いに行くんだ。きっと。暇だから。アホだから。