何処へ行く

暇をつきつめる

「宇宙を駆けるよだか」を見た

終盤の元に戻るところあっさり過ぎだろと思ったけど、入れ替わりのシステムとかは重要じゃなくて身体が入れ替わることによって、見える世界というか世界そのものが変わってしまうことに気付くのが重要だったのかな。でも可愛い身体になっても幸せになれない人がいたり、すれ違いざまにブスと罵られるような身体になっても幸せになれる人もいる。ただ自虐で笑いを取りにいっていたので、自らのコンプレックスを認められない人にとっては相当に難しいことではないかなと思う。しかしながらそのコンプレックスも周囲の人間の影響によるものが大きいというのもこの作品内では伝えてくれている。加賀によって最初は絶望していた海根の身体の小日向は希望を見出す。そういった人が1人でも海根然子の周りにいれば世界は変わっていたのかもしれない。ただその1人を見つけるのがとても難しいのだが。自殺したときの海根然子は家庭にも学校にも居場所は無く死ぬ以外の選択肢はなかっと思える。結果的に死ぬことによって世界を変えることができた訳で、どう行動するのが良かったのかは全くわからない。きっと本人がどうこうできる問題ではないのだと思う。こういった人を助けられると言ったら少し暑苦しいが受け入れられるような環境だったり居場所があったらいいと思う。

シェアハウスだとかでこういった人たちを受け入れている場所もあるが、少しキラキラし過ぎていて近づきづらい印象を抱いてしまう。とくに絶望している人間からしたら特にそうだと思う。難しい問題だ。わからない